社会保障の充実
この救貧法の内容は、@両親が子どもを養育できないとき、その子どもに仕事を与え、A資産がなく、生計をたてる職のないものに仕事を与え、B貧困者に仕事の材料――亜麻、大麻、羊毛、毛、鉄などを与え、C仕事のできない労働不能者を救済する、といったものであった。
絶対王政下のイギリスで大量の貧民が発生したことによって、彼らを救済することのために制定され、産業革命の進展に伴い1834年に改正された。当時は窮民か乞食や浮浪者に転落する場合、すべて個人の責任(怠惰のせい)とされ、徹底した制裁、取締りが行われたが、周期的な社会状況の悪化によって貧困者が増加した19世紀末後半には、貧困の社会的原因も求められるようになった。
「朕は社会的害悪を救済するには単に社会民主主義的暴挙を鎮圧するだけでは足りない。進んでまた労働者の福祉を積極的に増進する策を求めなければならないという所信を披露した。・・・労働者の義務災害に対する保険を・・・再び提案する。同時にまた、これを補充するものとして、業務外の疾病金庫制度の統一的組織を実現せしめようという一提案の審議をも求めることにした。
さらにまた、老衰あるいは廃疾により所得能力を失ったものにも、彼らが従来与えられていたよりも高い程度の国家の救済を社会に対して確実に求めることのできる権利をも認めなければならぬと思う。
飴とムチの政策
社会保険制度の始まりは、帝政プロシアで1883年に成立した「疾病保険法」であった。
当時、プロシアは資本主義的工業化を進め、急速に発展した労働運動を弾圧するために、時の宰相ビスマルクは、1878年「社会主義鎮圧法」を成立させ、徹底した労働運動および社会民主主義・社会主義、共産主義への弾圧と同時に、労働者を皇帝への忠実な臣民へと懐柔するために、このウィルヘルム1世の詔勅がなされた。この弾圧と懐柔の二面政策を、ビスマルクの「飴とムチの政策」と呼ぶ。
北欧・英連邦型と呼ばれている社会保障体系は、全国民に対して無差別平等な生活保障が公的になされなければならない、という基本的な考え方に立脚している。制度の適用が全国民にわたり、公的年金制度では受給資格ができると一定額が給付され、身分や所得水準に関係なく均一に給付される傾向がある。
一方、欧州・大陸型と呼ばれているものは、社会保障が被用者中心の職域保険から発達したという歴史的経緯から、社会階層別に分立した社会保険が中心になっている。基本的には、稼得能力の中断や喪失に際しても、それまでの生活水準を反映した水準の生活を維持できるように、という考え方に基づいており、このため年金制度までは所得比例制が採用されているなど被保険者の所得水準に応じて給付が異なる面がある。
「英・北欧型」は全国民対象・無差別平等の最低保障を特色とし、費用の財源を租税に求め(約705が国と地方公共団体の税負担)、「欧州・大陸型」では所得に応じ保険料に費用の大部分を求めている。日本はその中間的な型といわれている。